この記事でわかること
- 運動野には、体の各部位の動きを担当する領域の「地図」があり、固定されたものではなく、使い方に応じて変わります。
- サルの実験では、指を使う訓練のあとに指の領域が広がり、前腕を使う訓練のあとには前腕の領域が広がりました。変化は進行的で、元に戻りました。
- 人間でも、点字を読む指、弦楽器奏者の左手、ピアノを練習した手で、対応する脳の領域が広がっていました。
- 「地図」は、境界線のはっきりした区画ではなく、広がりのあるネットワークとして考えられています。
- 多くの研究は、音楽以外の課題や動物が対象です。領域の大きさと上手さの関係は、まだ研究の途中です。
What Is the Map「指の地図」とは何か
脳の表面(大脳皮質)には、体の各部位の動きや感覚を担当する領域が並んでいます。体を動かす指令を出す「運動野」と、体からの感覚を受け取る「体性感覚野」があり、それぞれに、手、指、腕、顔などを担当する領域が割り当てられています。この割り当てを、「地図」(脳の中の体の表現)と呼ぶことがあります。
地図というと、境界線のはっきりした区画を思い浮かべますが、実際はそう単純ではありません。運動野の研究を整理したレビューでは、運動野の役割は、区切られた表現ではなく、広がりのあるネットワークから生まれると考えられています。そのネットワークは、成人の哺乳類でも変化する力を持っているとされています。
Sanes, J.N., & Donoghue, J.P. (2000). Plasticity and primary motor cortex.
一次運動野の可塑性を整理したレビュー。運動野の表現は、病気や外傷のあとだけでなく、運動技能の学習を含む日常の経験にも応じて、大きく変化すると報告している。運動野は固定された制御の構造ではなく、動的な基盤を持つとしている。
Animal Study動物実験でわかったこと:使う動きの領域が広がる
運動野の地図が使い方で変わることを、はっきり示したのが、成体のリスザルを使った実験です。研究者は、前肢の動きを担当する運動野の領域を、微小な電気刺激で詳しく調べ、2種類の訓練の前後で比べました。
指を巧みに使う小さな物体を取り出す訓練のあとには、指の動きを担当する領域が広がり、手首と前腕の領域は縮みました。別の訓練として、前腕を回す鍵(ボルト)回しの課題を行ったサルでは、反対に、前腕の領域が広がり、指の領域が縮みました。変化は進行的で、元に戻りました。
さらに、訓練後は、2つ以上の関節の動きが同時に起きる領域が広がりました。行動の中で、よく使われる動きの組み合わせが、脳の中で選択的に大きくなっていたということです。同時に収縮する筋肉は、脳の中でも一緒に表現されるようになったと、著者らは指摘しています。
Nudo, R.J., Milliken, G.W., Jenkins, W.M., & Merzenich, M.M. (1996). Use-dependent alterations of movement representations in primary motor cortex of adult squirrel monkeys.
成体のリスザルで、運動技能の訓練が運動野の地図をどう変えるかを調べた研究。指を使う訓練では指の領域が広がり、前腕を使う訓練では前腕の領域が広がった。変化は進行的で、元に戻った。
ただし、これは人間ではなくサルの実験です。人間の演奏にそのまま当てはまると言うことはできません。それでも、「使った動きに応じて、運動野の割り当てが変わる」「その変化は固定的ではなく、元に戻りうる」という基本的な性質を示した研究として、よく参照されています。
Human Studies人間の研究:使う指に対応する領域が広がる
人間でも、よく使う指に対応する脳の領域が大きくなることを示した研究があります。代表的なものを、次の表にまとめます。
| 対象・課題 | 測定 | 見られた変化 |
|---|---|---|
| 点字を熟練して読む人(読む指) | 体性感覚誘発電位、経頭蓋磁気刺激 | 読む人差し指に対応する領域が、対照群より大きかった。非読書指(左手)や対照群との比較で確認 |
| 弦楽器奏者(左手の指) | 磁気源イメージング | 左手の指に対応する体性感覚野の領域が、対照群より大きかった。右手では差がなく、左手でも親指では差が最も小さかった。楽器を始めた年齢と関連 |
| ピアノの片手5本指の練習を学ぶ人 | 経頭蓋磁気刺激(運動野の地図) | 5日間の練習で、指を曲げる・伸ばす筋肉に対応する運動野の領域が広がり、活動の閾値が下がった。練習に使った手に限られていた |
点字を読む人の研究では、読む指に対応する領域の広がりが示されました。人差し指に刺激を与えて脳の電気的な反応を記録すると、読む指のほうが、反応が見られる頭皮上の範囲が有意に広くなっていました。経頭蓋磁気刺激を使った実験でも、読む指への刺激の知覚が、より広い範囲で、より長い時間にわたって妨げられました。
Pascual-Leone, A., & Torres, F. (1993). Plasticity of the sensorimotor cortex representation of the reading finger in Braille readers.
熟練した点字の読み手の体性感覚野を、誘発電位と経頭蓋磁気刺激で調べた研究。点字を読む指に対応する感覚運動野の領域が広がっていることを示唆している。
Elbert, T., Pantev, C., Wienbruch, C., Rockstroh, B., & Taub, E. (1995). Increased cortical representation of the fingers of the left hand in string players.
弦楽器奏者の左手の指に対応する体性感覚野の領域が、対照群より大きいことを示した研究。変化の大きさは、楽器を始めた年齢と関連していた。
Pascual-Leone, A., Nguyet, D., Cohen, L.G., Brasil-Neto, J.P., Cammarota, A., & Hallett, M. (1995). Modulation of muscle responses evoked by transcranial magnetic stimulation during the acquisition of new fine motor skills.
ピアノの片手5本指の練習を学ぶ過程で、運動野の領域を調べた研究。5日間の練習で、指の筋肉を担当する運動野の領域が広がり、活動の閾値が下がった。変化は練習に使った手に限られていた。
ピアノの研究では、課題を教えず、ただ自由にピアノを弾いてもらった対照群にも、同様の変化が見られましたが、課題を学習したグループより小さいものでした。単に手を使うだけでなく、目的をもった練習のほうが、地図の変化が大きかったということです。
Not a Fixed Map「地図」は、固定された区画ではない
なぜ、このような変化が起きるのでしょうか。運動野のレビューでは、運動野の中の水平方向のつながり(水平結合)が、地図の再編成の有力な候補として挙げられています。水平結合は、運動野の広い領域をつなぎ、活動に応じて変化する性質を持ち、技能の学習に伴って変化することが示されています。
つまり、運動野の地図は、あらかじめ決まった区画に指が1本ずつ割り当てられているのではなく、使い方に応じて、つながりが組み替えられるネットワークだと考えられています。「指の地図が広がる」という言い方は、わかりやすい表現ですが、実際には、複雑なネットワークの変化を単純化したものです。
Misconceptionsよくある誤解
「領域が広がった=指が器用になった」とは限らない
広がった領域と、指の巧みさの関係は、まだ研究の途中です。領域の広がりは、変化が起きたことを示す指標のひとつで、上達の大きさそのものではありません。
「脳の地図は、一度決まると変わらない」わけではない
成体のサルの実験や、成人を対象にした研究で、使い方に応じて地図が変わることが示されています。運動野は、固定された制御の構造ではなく、動的な基盤を持つと整理されています。
「指の領域が1本ずつ決まっている」わけではない
運動野の役割は、区切られた表現ではなく、広がりのあるネットワークから生まれると考えられています。地図は、わかりやすくするための単純化した言い方です。
Glossary用語のまとめ
| 用語 | 意味 |
|---|---|
| 運動野 | 体を動かす指令に関わる、大脳皮質の領域 |
| 体性感覚野 | 体の各部位からの感覚(触覚など)を受け取る、大脳皮質の領域 |
| 地図(体部位再現) | 体の各部位を担当する脳の領域の割り当て。使い方に応じて変化する |
| 可塑性 | 経験や訓練に応じて、脳の働きや構造が変化する性質 |
| 水平結合 | 運動野の中の、離れた領域どうしを横につなぐ神経の結びつき。地図の再編成の候補とされる |
| 閾値(いきち) | 反応を起こすのに必要な刺激の強さ。閾値が下がると、より小さな刺激で反応が起きる |
Limitsわかっていないこと
対象と課題のちがい
詳しい地図の変化を示した研究の多くは、動物(サル)や、点字、指の単純な練習課題が対象です。音楽の演奏そのものを対象にした研究は、一部に限られます。
領域の大きさと上手さ
領域が広いことと、演奏が上手いことの関係は、まだ研究の途中です。広い領域が、そのまま上達の大きさを意味するとは言えません。
生まれつきの違い
弦楽器奏者などの比較研究では、生まれつきの違いと、練習の影響を完全には分けられません。訓練の前後を比べる研究が、練習の影響を示す根拠になります。
箏などの和楽器
ここで紹介した研究は、箏など和楽器の奏者を対象にしたものではありません。同じ結果になるかは、この記事の範囲ではわかりません。
Use練習にどう活かせるか(一般的な整理)
以下は、研究結果にもとづく一般的な整理であり、特定の練習法の効果を保証するものではありません。
練習した動きが、地図に反映される
サルの実験では、練習した動きの種類に応じて、広がる領域が変わりました。何を練習するかが、脳の変化の内容に関わると考えられます。
使わなくなると、元に戻りうる
サルの実験では、変化は元に戻りました。長く練習を休んだあとに、感覚が戻りにくく感じるのは、この性質と関係する可能性がありますが、人間の演奏での確認は、この記事の範囲ではわかりません。
目的をもって練習する
ピアノの研究では、課題を学習したグループの変化が、自由に弾いたグループより大きくなりました。
技術習得の全体像については、ピラー記事「演奏の技術は、脳の中でどう身につくのか」で整理しています。
FAQよくある質問
Q. 「指の地図」とは何ですか?
A. 体の各部位の動きや感覚を担当する、脳の領域の割り当てのことです。運動野には動きを担当する地図、体性感覚野には感覚を担当する地図があります。固定された区画ではなく、使い方に応じて変化するネットワークとして考えられています。
Q. 練習すると、どのくらいで地図は変わりますか?
A. ピアノの片手5本指の練習を毎日2時間行った実験では、5日間で運動野の領域が広がりました。ただし、課題や人によって異なるため、期間をひとつに決めることはできません。
Q. 練習をやめると、地図は元に戻りますか?
A. サルの実験では、変化は元に戻ることが示されました。人間の演奏で、練習をやめたあとに地図がどう変わるかは、この記事で紹介した研究からはわかりません。