音楽と心と体

音楽を奏でると、
脳はどうなるのか。

演奏するとき、脳は全力疾走を始める

細川 明日香 · · 読了目安 約5分
箏を弾いているとき、不思議な感覚になることがあります。
集中しているのに、どこかリラックスしている。
時間の感覚がなくなって、気づいたら1時間経っていた、
なんてことも。

あれはいったい、なんなんだろう——そう思って調べてみたら、脳科学の研究がちゃんと答えを持っていました。今日は「演奏する」という行為が心と体にもたらす効果について、研究データを交えてご紹介します。

Section 01演奏は、脳のフルマラソンだった

楽器を演奏するとき、脳では「運動する」「聴く」「感じる」「考える」を同時にこなしています。神経科学者の間ではよく、「楽器演奏は脳にとってのフルマラソン」と表現されます。それほど、全脳を使い尽くす行為なのです。

音楽を「聴く」だけでも脳の複数の部位が働きますが、「奏でる」となると、そこに運動制御・タイミング・指の感触・視覚……と、さらに多くの系統が同時に稼働し始めます。

Brain activation map — playing music

運動野 聴覚野 視覚野 大脳 辺縁系 言語野
— 演奏中に活性化する5つの脳領域 —

Section 025つ以上の脳領域が、同時に動く

Research

ハーバード大学のゴットフリート・シュラウグ(Gottfried Schlaug)博士らの研究グループは、プロの音楽家と非音楽家の脳を比較しました。幼少期から楽器の練習を続けてきた音楽家の脳では、運動野・聴覚野・視覚野などの領域で灰白質の量が有意に多く、とくに両手の協調運動に関わる脳梁(左右の脳をつなぐ部分)が発達していることがわかりました。

Schlaug, G., et al. (2003). Effects of music training on the child's brain and cognitive development. Annals of the New York Academy of Sciences, 999, 219–232.

演奏中、脳は視覚(楽譜を読む)、運動(指を動かす)、聴覚(自分の音を聴く)、感情(音楽を感じる)、言語(リズムや構造を理解する)——これらを並行してこなしています。これがまさに「フルマラソン」と呼ばれる所以です。

0 つ以上 演奏中に同時活性化
する脳領域の数
0 % 音楽家の脳での
灰白質増加量の目安
0 % 音楽療法による
症状改善が確認された割合

※Schlaug et al. (2003), Chanda & Levitin (2013) をもとに模式化。個人差あり。

Section 03練習が、脳の形を変えていく

「才能」という言葉で片づけてしまいそうなことが、実は脳の変化として起きています。楽器の練習を続けることで、脳の灰白質——神経細胞が集まる部分——の密度が高まることが研究で示されています。

脳は「筋肉」に似ています。使えば使うほど、その部分が発達する。毎日の練習は、指を鍛えているだけでなく、脳そのものを育てている行為でもあるのです。

スランプで弾けない日も、ゆっくりとしか弾けない日も——
それでも弾き続けることが、
脳の回路を少しずつ書き換えている。
そう思うと、練習台の前に座る意味が変わります。

Section 04奏でることで、心も整う

演奏には、ストレス軽減や気分の改善といった心理的な効果もあることが確認されています。音楽療法の分野では、認知症・うつ・不安障害などへの効果が多くの研究で示されており、「音楽を奏でる」行為そのものが、心身のバランスを整える手段として注目されています。

Research

チャンダとレビタン(Chanda & Levitin, 2013)は、音楽が脳内の神経化学物質(ドーパミン・オピオイド・オキシトシンなど)に与える影響を包括的にレビューしました。音楽を演奏することや、音楽に積極的に関わることで、気分の改善・ストレス軽減・社会的絆の強化といった効果が生まれることが示されています。

Chanda, M. L., & Levitin, D. J. (2013). The neurochemistry of music. Trends in Cognitive Sciences, 17(4), 179–193. https://doi.org/10.1016/j.tics.2013.02.007

箏を弾きながら「どこかリラックスしている」と感じる不思議な感覚——あれは、演奏中に脳内で起きている神経化学的な変化の、身体的な感覚だったのかもしれません。

演奏とは、脳へのアプローチであり、心へのケアでもある。そしてそれは、プロの演奏家に限った話ではありません。楽器を持って、音を出すこと——それだけで、あなたの脳は動き始めています。

Lesson & Concert

箏を「奏でる」体験を、
あなたにも

立川のお箏教室では、初心者の方も大歓迎。脳と心に響く、箏との出会いをぜひ。

お箏教室を見る

参考文献

  1. Schlaug, G., Norton, A., Overy, K., & Winner, E. (2003). Effects of music training on the child's brain and cognitive development. Annals of the New York Academy of Sciences, 999, 219–232. https://doi.org/10.1196/annals.1284.025
  2. Zatorre, R. J., & Salimpoor, V. N. (2013). From perception to pleasure: Music and its neural substrates. Proceedings of the National Academy of Sciences, 110(Suppl 2), 10430–10437. https://doi.org/10.1073/pnas.1301228110
  3. Chanda, M. L., & Levitin, D. J. (2013). The neurochemistry of music. Trends in Cognitive Sciences, 17(4), 179–193. https://doi.org/10.1016/j.tics.2013.02.007

細川 明日香

生田流箏曲・地歌三味線演奏家。東京藝術大学卒業・同大学院修了。宮城道雄記念コンクール第1位。東京・立川を拠点に演奏・指導活動を行う。音楽と心身の関係に関心を持ち、本コラム「音楽と心と体」では科学的視点と演奏家の実感を組み合わせて発信しています。