音楽と心と体

緊張は、
チカラに変わる。

本番前のドキドキは、演奏を助けている

細川 明日香 · · 読了目安 約5分
本番の舞台袖で、心臓が耳のそばで鳴っているような感覚。
手がひんやりして、でも足は熱い。
あの感覚——ずっと「なんとかしなくちゃ」と思っていましたが、
今は少し、違う気持ちで受け取れるようになりました。

緊張は「演奏の敵」だと、長いあいだ思っていました。でも研究を読み進めるうちに、それが少し違うのだと気づきました。緊張は——うまく扱えば——演奏をよくするもの、だったのです。

Section 01緊張の正体は、「本気のサイン」だった

ステージ直前、体の中でいくつかのことが同時に起きています。副腎からアドレナリン(エピネフリン)が分泌され、心拍数が上がり、筋肉への血流が増え、感覚が鋭くなる——これは「闘争・逃走反応(fight-or-flight response)」と呼ばれる、何万年もかけて人間が育んできた本能的なシステムです。

もとは「危険から身を守るための反応」ですが、脳はこのシステムを、「大切なことが今起きている」と判断したときにも起動します。つまり、緊張しているのは——あなたがその演奏を、心から大切にしているからなのです。

↑ 心拍波形のイメージ — 本番前、心拍数は通常時の1.5〜2倍になることも

Section 02「緊張ゼロ」は、目指さなくていい

1908年、アメリカの心理学者ロバート・ヤーキーズとジョン・ドットソンは、刺激の強度とパフォーマンスの関係について重要な法則を発見しました。

Research

ヤーキーズ・ドットソン法則(Yerkes-Dodson Law)は、刺激や覚醒の強さとパフォーマンスの質が「逆U字型」の関係にあることを示した法則です。全く緊張がないとパフォーマンスは上がらない。一方、過度な緊張状態でもパフォーマンスは低下する。最もパフォーマンスが高まるのは「適度な緊張」がある状態——いわゆる「最適覚醒水準」です。

Yerkes, R. M., & Dodson, J. D. (1908). The relation of strength of stimulus to rapidity of habit-formation. Journal of Comparative Neurology and Psychology, 18(5), 459–482.

つまり、「緊張を完全に消す」ことはゴールではありません。理想は、緊張を「消すこと」ではなく、緊張を「最適な量にチューニングすること」。このグラフを知っただけで、本番前の気持ちの整え方が変わりました。

Yerkes-Dodson Law — パフォーマンス曲線

Section 03「緊張」を「興奮」に変換する

ハーバード・ビジネス・スクールのアリソン・ウッド・ブルックス教授が2014年に発表した研究は、演奏家にとっても深く刺さる内容でした。

Research

緊張と興奮は、生理的にはほぼ同じ状態(心拍数が上がり、アドレナリンが分泌される「高覚醒状態」)です。違うのは、それを「不安なもの(anxious)」と解釈するか、「ワクワクするもの(excited)」と解釈するかという点だけ。ブルックス教授の実験では、歌唱テストや数学の課題の前に「I am excited(私は興奮している)」と声に出すだけで、「落ち着こう」とリラックスを試みるグループよりもパフォーマンスが向上することが示されました。

Brooks, A. W. (2014). Get excited: Reappraising pre-performance anxiety as excitement. Journal of Experimental Psychology: General, 143(3), 1144–1158. https://doi.org/10.1037/a0035325

「落ち着こう」と緊張を抑えようとするのではなく、「この感覚は興奮だ」と解釈を変える。それだけで、体の中に流れているエネルギーが、別の方向へ動き出す感じがします。

私も本番前に、こっそりこれをやっています。「怖い」と思ったら「楽しみだ」と言い直す。小さなことのようで、不思議と、体の緊張のトーンが変わる気がするのです。

0 % 演奏家が経験する
「音楽演奏不安」の推定割合
1908 年から 研究が続く
「緊張とパフォーマンス」の関係
0 緊張を味方にする
アプローチ(Section 04)

※割合は Kenny & Osborne (2006) ほか複数研究の概算。個人差・測定基準により異なります。

Section 04緊張と付き合うための3つのこと

緊張の正体がわかれば、向き合い方も変わります。長年の演奏経験と研究から見えてきた、3つのアプローチをご紹介します。

緊張するのは、この演奏を心から大切にしているから。
そう思えた日から、本番前の袖が、
すこし好きになりました。

Lesson & Concert

発表会での緊張も、
一緒に乗り越えましょう

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参考文献

  1. Yerkes, R. M., & Dodson, J. D. (1908). The relation of strength of stimulus to rapidity of habit-formation. Journal of Comparative Neurology and Psychology, 18(5), 459–482.
  2. Brooks, A. W. (2014). Get excited: Reappraising pre-performance anxiety as excitement. Journal of Experimental Psychology: General, 143(3), 1144–1158. https://doi.org/10.1037/a0035325
  3. Kenny, D. T., & Osborne, M. S. (2006). Music performance anxiety: New insights from young musicians. Advances in Cognitive Psychology, 2(2–3), 103–112.

細川 明日香

生田流箏曲・地歌三味線演奏家。東京藝術大学卒業・同大学院修了。宮城道雄記念コンクール第1位。東京・立川を拠点に演奏・指導活動を行う。音楽と心身の関係に関心を持ち、本コラム「音楽と心と体」では科学的視点と演奏家の実感を組み合わせて発信しています。