音楽を聴いて、ふと鳥肌が立った経験はありませんか?
お気に入りの曲のサビが来る少し前、胸が高鳴るあの感覚。
あれは「気のせい」でも「感受性が強いから」でもなく、
脳の中で起きている、確かな化学反応なのです。

Section 01脳が音楽に反応するとき

音は空気の振動として耳から入り、まず脳の聴覚野へと届きます。しかし面白いのは、音楽の処理がそこだけで完結しないという点です。感情・記憶・報酬・運動——脳のいくつもの領域が、ほとんど同時に活動を始めます。

「音楽が好きな人は感情豊かだから感動しやすい」というわけではありません。音楽を耳にした瞬間、誰の脳でも、広範な神経ネットワークが動き出している。それが神経科学の示す事実です。

音楽を「聴く」ことは、脳全体を使う——なかなか大変な、でも豊かな行為でもあるのです。

Section 02ドーパミンという名の喜び

2011年、カナダのマギル大学の研究チームが、音楽と脳の関係について重要な発見をしました。好きな音楽を聴いたとき、脳の「報酬系」と呼ばれる線条体でドーパミンが放出されることを、PETスキャンとfMRIを使って初めて可視化したのです。

Research

マギル大学の研究チームは、被験者が「鳥肌・感動」を感じた音楽を聴いているとき、脳の線条体(報酬・動機付けに関わる部位)でドーパミンが放出されることを確認しました。これは食事・恋愛・達成感などで活性化するのと同一の報酬回路です。

Salimpoor, V. N., et al. (2011). Anatomically distinct dopamine release during anticipation and experience of peak emotion to music. Nature Neuroscience, 14(2), 257–262.

ドーパミンとは、喜びや快感、意欲に関わる神経伝達物質。おいしいものを食べたとき、恋をしたとき、目標を達成したとき——そのときと同じ物質が、音楽を聴くだけで分泌される。この発見は、世界中の研究者を驚かせました。

9系統

音楽が影響する神経化学システムの数。ドーパミン・オピオイド・オキシトシン・コルチゾールなど、複数の系統にわたって作用することが確認されています。
— Chanda & Levitin, 2013 / Trends in Cognitive Sciences

Section 03「もうすぐ、あのフレーズが来る」という予感

さらに、この研究には続きがあります。ドーパミンが放出されるのは、感動した「その瞬間」だけではありませんでした。クライマックスが来る少し前——「もうすぐ、あのフレーズが来る」と感じているときにも、すでにドーパミンは分泌されていたのです。

Dopamine release — timeline image

期待フェーズ
72%
ピーク時
100%

※ドーパミン放出量の相対値イメージ(Salimpoor et al., 2011 をもとに模式化)

音楽好きなら、きっと思い当たることがあるはずです。大好きな曲の、大好きな部分が近づいてくる、あのドキドキした感覚。あれは脳が「これから素晴らしいことが起きる」と学習して、事前に喜びを感じているサインだったのです。

コンサートで生演奏を聴くとき、この効果はいっそう大きくなります。演奏家の息遣い、弦を弾く指の動き、ホールに響く音の余韻——「次は何が来るのだろう」という期待が高まるほど、脳の喜びも、深まっていくのです。

Section 04音楽が、心の緊張をほどく

脳がドーパミンを放出する一方で、音楽にはコルチゾール(ストレスホルモン)を下げる効果もあることが示されています。

Research

スイス・バーゼル大学の研究チームは、ストレスの強い状況に置かれた被験者を対象に実験を行いました。リラックスできる音楽を事前に聴いていたグループは、ストレス後の自律神経の回復が有意に早く、コルチゾール値も早く基準値に戻ることが確認されました。

Thoma, M. V., et al. (2013). The effect of music on the human stress response. PLOS ONE, 8(8), e70156.

「音楽を聴くとなぜか落ち着く」という感覚は、科学的にも根拠のあることでした。心が張り詰めているとき、BGMとして流すだけでも、脳と体はちゃんと応えてくれます。

4つの脳部位

音楽が感情処理に関与する主な脳部位。扁桃体・海馬・前帯状皮質・腹側線条体が音楽によって活性化します。これらは感情の生成、記憶の形成、報酬の処理に関わる重要な領域です。
— Koelsch, S. (2014) / Nature Reviews Neuroscience

Section 05生演奏でしか、感じられないもの

録音や配信でも十分に素晴らしい体験ができます。でも、生演奏のコンサートにしかない要素が、確かにあると私は感じています。

それは「同じ空間で呼吸を合わせる」こと。演奏家も、聴衆も、ホールを包む空気も、まったく同じ時間を生きている——その一体感は、数値には表れにくいけれど、脳と体に刻まれる経験です。

演奏が初めての方ほど、ぜひ一度コンサートへ足を運んでみてください。楽譜が読めなくても、和楽器を知らなくても、まったく構いません。音楽は、ただそこにいるあなたに、もうはたらきかけているから。

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生演奏でしか出会えない、脳と体への贈り物を、ぜひ会場でご一緒しましょう。

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参考文献

  1. Salimpoor, V. N., Benovoy, M., Larcher, K., Dagher, A., & Zatorre, R. J. (2011). Anatomically distinct dopamine release during anticipation and experience of peak emotion to music. Nature Neuroscience, 14(2), 257–262. https://doi.org/10.1038/nn.2726
  2. Chanda, M. L., & Levitin, D. J. (2013). The neurochemistry of music. Trends in Cognitive Sciences, 17(4), 179–193. https://doi.org/10.1016/j.tics.2013.02.007
  3. Thoma, M. V., La Marca, R., Brönnimann, R., Finkel, L., Ehlert, U., & Nater, U. M. (2013). The effect of music on the human stress response. PLOS ONE, 8(8), e70156. https://doi.org/10.1371/journal.pone.0070156
  4. Koelsch, S. (2014). Brain correlates of music-evoked emotions. Nature Reviews Neuroscience, 15(3), 170–180. https://doi.org/10.1038/nrn3666

細川 明日香

生田流箏曲・地歌三味線演奏家。東京藝術大学卒業・同大学院修了。宮城道雄記念コンクール第1位。東京・立川を拠点に演奏・指導活動を行う。音楽と心身の関係に関心を持ち、本コラム「音楽と心と体」では科学的視点と演奏家の実感を組み合わせて発信しています。